選挙が終わると、「民意は示されたのだから、野党や批判者は足を引っ張るな」「選ばれた人たちに任せよう」という声が聞こえてくることがあります。
一見、もっともらしく聞こえるこの意見。しかし、民主主義の仕組みから考えると、実はとても危険な考え方でもあります。
今回は、なぜ「当選した政党(権力)を批判すること」が間違いではなく、むしろ必要なのか? その理由を論理的に整理してみました。
選挙は「白紙委任」ではない
投票用紙に名前を書くことは、「あなたに政治を任せます」という意思表示ですが、それは「これから何をやっても全て賛成します」という白紙の契約書にサインしたわけではありません。
当選後に行われる個別の政策や、予期せぬ事態への対応に対して、「それは違う」と声を上げる権利は、投票した側にもしなかった側にも等しく残されています。
批判は「権力の暴走」を防ぐブレーキ
歴史が証明している通り、批判されない権力は必ずと言っていいほど腐敗します。自分たちに都合の良い法律を作ったり、公金をあいまいに使ったり……。そうした誘惑に対する抑止力になるのが「批判」です。
批判を封じることは、車からブレーキを取り外してアクセル全開で走らせるようなもの。事故(政治の腐敗)を防ぐためには、常に監視の目が必要です。
多数決 =「少数派の切り捨て」ではない
民主主義=多数決と思われがちですが、本質は「決定プロセスにおいて、どれだけ多様な意見を検討できたか」にあります。
51%が勝ったからといって、残りの49%の意見を完全に無視していいわけではありません。
批判の声は、選挙で拾いきれなかった少数派の声を政治に届ける重要な手段でもあります。
「批判」こそが政策を磨き上げる
「批判ばかりするな、対案を出せ」という意見もありますが、そもそも「ここがおかしい」と指摘すること自体が、政策の欠陥(バグ)を見つける重要な作業です。
どんなに優秀な人たちが作った法案でも、完璧ではありません。外部からの厳しいチェック(批判)があるからこそ、抜け穴がふさがれ、より実用的な政策へと修正されていくのです。
「言論の自由」が死守されるべきライン
「時の政権を批判する人を、よってたかって黙らせようとする空気」が定着するとどうなるでしょうか?
人々は萎縮し、誰も権力に対して異議を唱えなくなります。それはもはや自由な社会とは言えません。「批判する自由」を守ることは、巡り巡って自分自身の「発言する自由」を守ることにつながります。
まとめ
選挙で勝った政党には「政治を行う権限」が与えられますが、「批判されない特権」が与えられたわけではありません。
むしろ、強大な権力を持つからこそ、常に厳しい目に晒され、説明責任を果たし続ける必要があります。
「批判」を単なる悪口と捉えず、健全な民主主義を機能させるための「メンテナンス作業」として捉え直してみると、また違った景色が見えてくるかもしれません。
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